■ ■ 根室の歴史 ■ ■
History of NEMURO.
■Nemuro City Offical Movie
「根室市制施行50周年記念式典動画」
〜写真で振返る50年の歴史〜
Undeveloped era
飛鳥時代の斉明天皇のころ阿倍比羅夫が樺太で征討した粛慎は、当時根室国域にも及んでいたオホーツク文化圏に属する人たちと言われている。オホーツク文化は平安時代前期ころ擦文文化の影響を強く受けたトビニタイ文化へと移行し鎌倉時代ころまで続いた。
鎌倉時代から室町時代にかけて、日の本と呼ばれる蝦夷(えぞ)が根室国域を含む北海道太平洋岸や千島国域におり、蝦夷沙汰職・蝦夷管領はこれを統括していた。
■根室関連名所
※根室半島チャシ跡群
「新羅之記録」:和人による北海道支配の成立過程をこれほど詳細に記録したものはなく、まさに北海道の古事記とも称すべき文献といえます。
developed era
■根室関連名所
※金刀比羅神社 高田屋嘉兵衛像
□(和人とアイヌ人の争い)
1789 年(寛政元年)根室でも「※クナシリ・メナシの戦い」が起こり、和人 71名が殺され、蜂起したアイヌ人37 名がノッカマップ運上所前(現:根室市牧の内)にて処刑された。この歴史は納沙布岬に立つ石碑「横死七十一人之墓」に残っており、毎年和人・アイヌの犠牲者合わせて 108 人を供養するノッカマップ・イチャルパ という儀式が行われている。
□(開拓探訪とロシアとの初交流)
江戸幕府は、寛政11年(1799)に北方領土を直接統治することにし、近藤重蔵をその任務にあたらせ、海の豪商といわれた商人の高田屋嘉兵衛を伴って北方領土にむかう。近藤はその前年の寛政10年(1878)に、最上徳内を案内役にして国後島から択捉島にかけて調査を行った際に、タンネモイという場所に「大日本恵登呂府」と書いた標柱を建てて帰る。
その後寛政12年(1800)、高田屋嘉兵衛が苦労して航路を開拓し、再び択捉島へ渡りカムイワッカオイの丘に、近藤が建てたのと同じように「大日本恵登呂府」と書いた標柱を建てて、ここの土地が日本の領土であることをあらためて明らかにした。
1792年9月24日、ロシア最初の遣日使節アダム・ラクスマン一行は、帆 船エカテリーナ号でオホーツク港を出港し、同年10月20日に根室に入港しま した。冬が近づいていたのでエカテリーナ号を弁天島につけ、乗組員42名は上 陸して家を建て、翌年6月15日までの8カ月間、根室で過ごしました(年月日 は全て現在の西暦に換算しています)。当時の根室には、松前藩の役人・商人 ・アイヌの人々らが数十人住んでいました。ラクスマンは漂流民の返還の名のも とに、通商交渉と来航目的を告げ、日本側は直ちにこの事実を松前に知らせまし た。すぐに松前藩と江戸幕府から、根室へ交渉の役人らが着きましたが、本交渉は松前で行われました。
□(集落の起源と名前の由来)
※元ノッカマップ(現:根室市牧の内)→
■根室関連名所
※納沙布岬 横死七十一人之墓
※近藤重蔵、最上徳内、松浦武四郎
※近藤重蔵が作製した蝦夷地図(1802年)
※アダム・ラクスクマン、大黒屋光太夫
a nemuro land era
※根室国地図
a nemuro prefecture era
※日本:1889年(明治22年)大日本帝国憲法発布。衆議院議員選挙法・貴族院令など公布。市制・町村制が施行。
※三県一局時代の根室県
■根室関連名所
※和田屯田兵村の被服庫
a nemuro prefecture era
※日本:日露戦争:1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。
※根室町街図(大正初期)
※和田神社の和田屯田兵碑
※日本:1914年(大正3年)第一次世界大戦勃発。大日本帝国がドイツ帝国に宣戦布告。
□(リンドバーグ夫妻の根室来訪)
□(根室空襲による壊滅的被害)
- 1945年8月15日(昭和20年)昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送(玉音放送)
□(北方領土返還運動の始まり)
a nemuro city era
■根室市民憲章
わたしたちは、太平洋とオホーツク海に望む日本の東、白鳥の群れとぶ美しい自然のなかに生きる根室市民です。
わたしたちは、たくましい開拓精神とゆたかな北方文化をうけつぎ、更に理想の郷土をきずくため、開基100年に当たりこの憲章を定めてあすへの誓いといたします。
1.郷土を愛し、美しいまちをつくります。
1.健康で働き、豊かなまちをつくります。
1.教養をたかめ、文化のまちをつくります。
1.きまりを守り、住みよいまちをつくります。
1.生活を楽しみ、明るいまちをつくります。
1.北方領土の復帰をはかり、平和なまちをつくります。
1993年(平成5年)1月15日20時06分07秒、釧路沖地震は、北海道釧路市南方沖15km(北緯42度55.2分、東経144度22.4分、深さ101km)の太平洋を震源として発生したM 7.5の地震。この地震は、沈み込んでいる太平洋プレートの二重深発面の下側のスラブ内を震源とした地震であった。
□(相次ぐ高潮災害とサケ・マス流し網漁禁止)